歴史 - 朝日町観光協会

町のあちこちに残る、時間の足跡。

古代の人々の残した遺跡・・・。
あちこちに記される朝日町の歴史の跡・・・。
ゆっくりと時間の流れる町で
歴史の重さを感じるひととき。

境関所跡

境関所の設置時期については、いろいろ説があるが、最も古い説によれば、安土桃山時代に設けられたもので、岡番所、浜番所からなり、常に30数名の武士が配置されていた加賀藩最大の関所でありました。当時は箱根の関所の2倍の規模は在ったといわれています。
現在、境公民館前に石碑があり、資料は関の館の中に展示してあります。
復元された御亭(おちん)は沖合や山中を越境するものを監視した見張り台として使用されたものといわれています。「境関所」の名で県指定史跡になっています。

長谷川地蔵

境関所二代奉行の長谷川宗兵衛が越後の情勢を知るため他国人と縁組禁止の掟を犯して、娘を嫁がせたことが発覚し、宗兵衛及び長男、次男ともに切腹、三男宗吉は幼少のためひそかに僧院にかくまわれていたものの、これも知れ斬罪になりました。後に村人たちは、あわれな親子のために地蔵を建て長谷川地蔵と名づけ、今日まで弔ってきたもので、現在は、シャクナゲの庭園で知られる護国寺に安置されています。

宮崎城跡

標高248mの城山山頂にあって、寿永2年(1183)、後白河法皇の第二皇子である以仁王(もちひとおう)の第一皇子北陸宮が、木曽義仲と共に豪族宮崎太郎長康に迎えられて越中宮崎の地に居住され、八幡山(城山)に公的行事を執行するための御所を造営されたのが宮崎城のはじまりです。県指定史跡。

北陸の宮墳墓

昭和45年に京都南禅寺裏山にある北陸宮墓地から分骨を受けて三の丸跡に北陸の宮墳墓を建立されました。さらに同48年にこの墳墓に隣接して信州下伊那郡阿智村に現存する宮崎太郎長康公の墓碑と同一のものを建立し、供養塔となっています。
地方にも中世の皇族の墳墓があるのは、全国的にも珍しいことです。

芭蕉句碑

「早稲の香や分け入る右は有磯海」
旧北陸道に面した元屋敷地内にある松尾芭蕉の句碑は、元禄年間に越後の難所を越え、越中に入って、広がる有磯海と早稲を目のあたりにした感慨を込めて詠まれた一句です。町史跡。

神田新地

神田新地は泊地区内に位置し、芸妓の町として知られています。
ここには、料亭はもちろんのこと、芸妓さんが住まいする置き家(おきや)や、芸を稽古したり、お客さんを取次ぎする検番(けんばん)などが軒を並べています。

清水寺

清水寺の寺暦は古く、文化13年(1816)に真言宗として建立したという古文書が現存していますが、大同年間(806~810)、既に存在していたともいわれ、その開基は明らかではありません。寺院には毘沙門天立像(県有形文化財)や千手観音坐像(町有形文化財)がまつられてあり、寺院入り口右側には樹齢200年以上と推定されるエドヒガンザクラ(町天然記念物)がそびえ立っています。

不動堂遺跡

昭和の初め頃発見された縄文時代中期の遺跡で、昭和48年に発掘調査が行われました。数多く発見された住居址の中で、特に2号住居址は、東西が約17m、南北が約8m、面積が約120平方mあり、当時の一般住居の4~5倍もある日本最大級のもので、昭和49年12月に国指定の史跡となり、現在3棟の住居が復元され、遺跡公園となっています。